煙草とコロナに息苦しい世の中。ナンバーガールと森山未來が、コロナだけを吹き飛ばした。【ナンバーガール 無観客ライブ生配信】
「ナンバーガール、無観客ライブを生配信」
邦楽ロックファンの多くが、この知らせをTwitterなりなんなりで目にしたはずだ。
今、この国では、コロナウイルスが異常なまでに流行している。
物事を流行らせるのはあまりにも難しいのに、目にも見えないウイルスが、次々と人々の体内に感染していく。
そして、感染の拡大を防ぐ為に、世の中のライブイベントの多くが、「主催者による判断」で、中止・延期となった。これは、音楽史に残るほどの異常事態であろう。日本から、次々とライブイベントが消えていった。
ライブイベントの開催の有無に関しては、日夜様々な賛否の議論が繰り広げられた。
ミュージシャンも、ファンも、イベンターも、皆苦しんでいるのが分かった。
日本のライブが、日本の音楽が、目に見えて曇っていった。
このような状況だからこそ、と、無観客でのライブをインターネット上で生配信をする、粋な計らいを試みるミュージシャンも多く現れた。
つい昨年再結成したばかりの、伝説のロックバンド、「ナンバーガール」もその一つだった。
突っ込まれる前に言っておくと、僕はナンバーガールにそこまで詳しくなかった。
もちろん、伝説的なバンドというのは知っていたから、大学一年生の内に、アルバムは一通り聴いた。ZAZEN BOYSの向井秀徳も一通り聴いた。再結成もしたことだし、これからもっと深い沼まではまっていこう、と思っていた最中だった。(このような存在のバンド、皆さんにもあると思う)
だが、「にわか」の僕も、ナンバーガールの無観客ライブに「行ってみよう」と思った。
伝説のロックバンドが、再結成して間もないこのタイミングで、ライブツアーのファイナルを目前に、未曽有の「音楽災害」が起こり――それに対応する形で、Zepp東京でのライブを無料で生配信する―
ロックが大好きな人間として、このライブは一つの「これからの音楽」を考える上で、一つの大きな出来事となる気がした。
結論から言うと、実際、大きな出来事になった。令和時代でこのライブをYoutube上でやったこと、観られたこと、かなり重大な事件だった。
ライブがバチボコに良すぎたのはもはや言うまでもない。これは、ここで改めて書かずとも、ナンバーガールを知る人なら異論はないだろう。
四人の鳴らす音が、2020年の現代に、イヤホンを通過して僕らの脳みそに鋭いままで刺さった。
邦楽ロック好きの中高生も、全盛期のナンバーガールを知る音楽マニアの大人たちも、みんなが音楽少年少女になった。
音楽的なパフォーマンスに加え、個人的にグッときたのが、
ステージ上で向井秀徳が煙草を三本口にくわえ、煙をくゆらしながら、おもちゃの拳銃でカメラに向かって「パーン」と銃を打ち抜くシーン。
そして、スペシャルゲストの森山未來が、マスク姿で無観客のフロア、そして緊張感あふれるステージに乱入し、激しいダンスを繰り広げたシーンである。
今の日本はかなり息苦しい。煙草を吸うにも場所がない。
嫌煙者の声ばかりが尊重され、喫煙者は肩身の狭い現代を生きている。
何も煙草に限った話ではない。
公園で楽しむ子供たちの声が「うるさい」だとかなんとか。
SNSでの誹謗中傷、炎上しただとかなんとか。
そういった類の社会の風潮が、どんどん楽しさの首を絞めていく。
そんな時代に、ライブのステージ上で煙草を吸うアーティストなど、居ただろうか。それも同時に三本である。
向井氏自身も、このパフォーマンスは無観客だからこそできたのかもしれない。
話を聞くには、同じようなパフォーマンスを昔にもやっていたそうな。
喫煙パフォーマンスまでも、この現代に、しかもこのコロナで日本が更に息苦しくなっているタイミングで、蘇らせたのである。
これ、かなりエモーショナルじゃない?
…そんな理屈っぽい事を考えて興奮していた僕を吹き飛ばすかのように、おもちゃの火薬銃で「パーン」とカメラに向けて打ち抜く向井氏。見事である。
森山未來のパフォーマンスのメッセージ性も素晴らしかった。マスク姿でせき込み、フロアにうつ伏せる――あたかも現代の日本を投影するような姿を見せ――何かのスイッチが入ったように縦横無尽に暴れまくる。
途中から、全てを解放したようにマスクを外し、ステージに上がり込む。向井氏の煙草を勝手に口に咥え、勝手に火をつける。またステージから飛び降りて、満足げな笑顔で煙草を吸いながらナンバーガールに手を振る。
こうして森山氏のパフォーマンスは終えていく。
煙草は体に悪い。言うまでもない。
コロナは体に悪い。これはもっと言うまでもない。
しかし、煙草はカッコイイ。誰が何と言おうと、僕はそう思う。
というか、煙草はカッコイイ、という意見が一つの意見として認められて欲しい。
嫌煙と愛煙、どちらも同じ大きさの権利があっていいのではないだろうか。
息苦しい現代社会に、コロナが流行し、更に息苦しくなった。
煙草という制限の対象が、この今というタイミングで、ステージの表現手段として用いられたこと、かなり大きなものを感じる。
ネットで、しかも無観客だからできたこと、というのが、皮肉なようでもある。
話は飛ぶが、芸能人がここ数年で、規制やしがらみから逃げるように、ネットのYoutubeに参入しつつある今の現状も、エンターテインメントの時代が動いている事を感じさせる。
規制が娯楽嗜好の首を閉めつつある今これから。
未来はやはりインターネット上にあるのかもしれない。
そんなことを感じたライブだった。